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制作の記録と日記

#00080 写真と言葉

新聞のページはテレビ、社会、地域、スポーツ、くらし、教育、文化、解説、投書、商況、経済、国際、政治、総合などで構成され、そこに広告スペースが散らばっている。広告は文庫本や健康飲料、精力剤まであり読者の年齢層に合わせたものだ。この2週間は支持体に使う新聞紙の選別。二百部以上ある新聞の写真と言葉を注意深く見ていく。写真そのものを見続ける体力はあるはずだが、この地味な作業に体力を奪われている。残り五十部を残して今日は終了。作業スペースは新聞だらけ。一部120円の新聞を定期購入するのは勿体無い気もしていたが、印画紙と考えれば驚くほど安い。

 

写真が上手いって何のことだろう。良い写真ってどんなものだろう。現代写真では明確な基準に沿った『良い写真』はもはや評価の対象にはなりにくい。いやそれを競うコンペティションは未だにあるが、先端的な表現になればなるほど基準に合わせたトレーニングとはちがう積み重ねが必要になってくる。

 

東京造形大学付属美術館で開催している高梨豊先生と大辻清司先生の写真展を見た。高梨先生の作家としてのスタンスが解説付きで展示してあり、一緒に見た学生たちも高梨豊という写真家に興味を持ってくれたと思う。その後は高梨先生の写真集を図書館で借りてディスカッション。極めてオーソドックスな撮影スタイルについて、コンセプトとタイトルについて、ブレのない編集とコンテについて話し合った。10月3日のトークショーも楽しみだ。

 

 

#00079 環境の変化

写真ギャラリーの予算が確定し、いよいよ本格的な準備に入る。予算が分からないうちはどれだけ内装を考えても無意味に感じる。予算があって初めて材質やグレードを決定できる。ようやく慌ただしい日々が始まる。

 

ファッションフォトグラファー、ビル・カニングハムのドキュメント映画を見る。シンプルで質素な生活。自分の美意識に素直に反応し、それ以外のものには目もくれない姿が印象に残った。自分もずっとそうありたいと思う。最近は涙もろくなっているせいで何でも簡単に泣いてしまう。映画を見ながら写真家にアトリエは必要か考えていた。ビルのようなスタイルなら必要ない。フィルムはラボに出し、写真は雑誌上で発表される。ネガの保管室で寝泊まりしているような状態だったが、そこさえきちんと纏めておけば十分そうだった。

 

35歳になり、写真家の生き方をつい考えてしまう。写真家とは職業ではなく生き方だ、という言葉はいつどこで読んだか忘れてしまったが妙に納得したのを憶えている。写真家になりたいと思いながら10年が経ってしまった。緊張感を保ちながら撮り続け、発表し続けること。写真とは何かを考え、古今東西の写真表現を学ぶこと。当たり前に続けていかなくてはいけないし、そこから先はまだ分からない。35歳がターニングポイントになりそうだ。

#00078 夏休み1ヶ月

講師の仕事のない8月は絶好の制作シーズンなのに、この2週間連続の雨で予定が総崩れ。デスクワークのみで過ごすことに。完全に引きこもり生活。今週末まで晴れ間がないようで、なんとかならないもんかと毎日うなだれている。気晴らしのアルコールも飲まずスイッチが入らない。

実際は雨でもやることは山ほどある。ドクメンタ14とベルリン視察をそろそろまとめないといけない。新しいプロジェクトを進める時間を確保したいが、撮影の時間が少ないとどうしても焦ってくるので、どうにか晴れた日に撮影して心を落ち着かせてから取り掛かりたい。